著者の怒りとメンターの動揺―利益相反と盗まれた著作(オーサーシップ)の話
科学者に関する話は、科学コミュニティにとって、昔から意義深く洞察に満ちたものです。マクマレン(McMullen)(1970)によると、「科学」のセンス(科学的感覚)で重要なものは二つあり、その一つはS1と名付けられた、命題の集合です。理論、データ、解釈などがこれにあたります。もう一つはS2と呼ばれる膨大な情報で、マクマレンによると、科学的成果に何らかの影響を与える活動全ての集合を指します。
このような考え方のもと、私の親友の1人であるヒルマー・デュアベック(Hilmar Duerbeck)を偲んで、追悼集The Eagle and the Dove, A tribute to Hilmar Willi Duerbeckに収められた、実際に彼の身に起こった話をご紹介したいと思います。有名な科学者の話ならともかく、ヒルマー・デュアベックなどという科学者の話にどのような意味があるのかと思う人もいるかもしれません。天文学者であった彼はとても面白い個性をもった科学者で、決して凡庸な科学者ではありませんでした。
まず、ヒルマーの経歴から話しましょう。ヒルマーは1948年6月19日に生まれました。ドイツのザールラント大学で物理学を、ボン大学で天文学を学びました。1975年から1991年まではHoher List Observatoryの科学アシスタントや、ミュンスター大学の天文学の講師として働きました。ヒルマーは著作も大変多く、編集者としても活躍しました。諸外国(チリ、米国、ベルギー、オーストラリア)で教鞭をとった他、研究職にもつき、複数の国際組織の会員として、各種委員会の委員を務めました。専門は、新星、新星残骸、超新星、激変星、閃光星でした。
ヒルマーは穏やかな人柄でしたが、動揺する状況に陥ることがありました。以下は、追悼集からの抜粋で、ヒルマーが大きく動揺する状況に陥った二つの事例です。その内容は、利益相反と、科学出版における複雑な著者の立場(オーサーシップ)に関するものです。
利益相反
ヒルマーは、ベルナルド・ウルフ(Bernhard Wolf,1935-2012)と共著で、はくちょう座新星1975 (Nova Cygni 1975)に関する論文を査読付き学術誌に投稿しました。匿名の査読プロセスは非常に遅く、受理されるまでに6ヶ月以上かかりました。しかしその後、論文が受理される2ヶ月ほど前に、競合する論文が別の学術誌に投稿されていたことが分かったのです。匿名の査読者の名前を明らかにすることは当然のことながら難しいはずですが、このとき使われていた査読報告書には、査読者の所属機関の透かしが入った紙が使われていました。ヒルマーと共著者は、自分たちは査読者側が利益相反を明らかにしなかったことによる犠牲者だと結論せざるを得ませんでした。
残念ながら、当時はこのような状況に対処するための標準的な方法が確立されていなかったため、ヒルマーはただその状況を眺めていることしかできませんでした。他の多くの研究者も同じような経験をしていたと思われます。今日、そのような状況があれば、COPE (出版倫理委員会、Committee on Publication Ethics)に申し立てをするという対処方法があります。COPEは、査読付き学術誌の編集者や出版社が、出版倫理に関するあらゆる面についての議論をすることができるフォーラムです。
著作(オーサーシップ)
2002年、ヒルマーは「The Münster Red Sky Survey: Large Scale Structures in the Universe(ミュンスター・レッド・スカイ調査:宇宙の大規模構造)」の出版準備に奮闘していました。これは、レンコ・アングルヒ(Renko Ungruhe、第一著者)が1998年にミュンスター大学に提出し、審査を経た博士論文を編集し、翻訳したものでした。研究作業は他の研究者の指導で終了していましたが、その後ヒルマーがメンターとなり、この論文を整えて学術誌に投稿する作業を指導していました。ここでもっとも重要なのは、ヒルマーはこの論文整理作業に多大な貢献をしていたにも関わらず、共著者として名を連ねることに乗り気でなかったということです。というのも彼は、自分は著者(オーサーシップ)の基準を満たしていないと感じていたのです。最終的には、彼は私のアドバイスに従い、その論文の共著者として、しぶしぶとではありますが署名をしました。医学雑誌編集者国際会議(International Committee of Medical Journal Editors, ICMJE)で定められている著者の条件は、十分に満たしていました。
しかし、まさにその原稿をJournal of Astronomical Dataから出版する準備をしていた2003年、彼が「不快極まりないもの」と表現することになった事件が起こりました。アングルヒの博士論文の審査員の1人が、Monthly Notices of the Royal Astronomical Societyから論文を出版したのですが、その大部分は、準備中の博士論文の結果に基づいたものだったのです。加えて、その論文の出版はアングルヒにも知らされず、許可を求めることもしていませんでした。
ある博士論文の査読者が、当の博士論文に基づいて書かれた論文の単独著者となり、一方でヒルマーは、その論文に多大な貢献をしてきたにも関わらず、共著者となることをずっと躊躇していたのです。これは、かなり異常といえる事態でした。
指導教官とメンターの役割は、一人の人間が担うのが理想的です。また、シニアの科学者から若手科学者に倫理規定を伝えていくことも、メンターの役割です。ヒルマーは、正にそれを実践した人でした。
この話の教訓は何でしょうか。マイナス面としては、査読システムの暗部が示されています(学術誌の論文だけでなく、博士論文の原稿にもあてはまります)。プラス面は、善意にあふれ、利他主義で寛大な科学者がまだ存在し、学生たちを助けているということが分かったことです。同時に、学生たちが、指導教官たちから受けた支援に感謝していることも分かります。しかし何よりも大事な教訓は、「不正な裁きの中の公正さ」ではないでしょうか。学術界の査読システムに、不正行為を行う人が身を隠す場所はありません。遅かれ早かれ、科学コミュニティはそのような人たちに気づくはずです。
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