マスク着用の歴史的背景と科学的根拠
注:この記事は、2020年6月8日にIndiaBioscienceで公開されたものを、許可を得てここに再掲載したものです。
過去のパンデミックが残した教訓があるとすれば、それはマスクを着用することの重要性です。病気予防のためにマスクを着用するという習慣は、1910~1911年に中国の満州で伝染病が流行した時代にさかのぼって確認することができます。ケンブリッジ大学で学んだ中国人医師、伍連徳(Wu Lien-teh)は、感染から身を守るために誰でも装着できる「予防具」として、マスクを広めました。それから1世紀が経った今も、シンプルでありながら効果的で、なおかつ大量生産できるツールとして、マスクは感染症予防に役立てられています。
満州での伝染病の流行から数年後の1918年、スペイン風邪によって世界中で4千万人超が犠牲となりました。この数は、第一次世界大戦の犠牲者の総数を上回るものです。とくに猛威を振るったインドでは、世界の総死者数の40%に当たる1700万人が死亡しました。予防のためにスカーフやベールで顔を覆う習慣がこのときに始まり、スペイン風邪が終息する1919年末まで続きました。
1923年に日本で発生した関東大震災では、火災によって50万棟以上の家屋が焼失し、その灰が何ヶ月も空気中を漂う状況が続きました。これをきっかけにマスクの生産数が激増し、東京や横浜の住民の必需品となりました。日本におけるマスクは、1934年のインフルエンザの流行により、予防以外に「マナー」という意味を帯びるようになります。感染者はウイルスを他者にうつさないための配慮としてマスクを着けるようになり、もはや、予防のためだけに着けるものではなくなったのです。
この当時の日本では、マスクは特別な場合にのみ着ける程度のものでしたが、第二次世界大戦による産業化やスギ花粉によって空気の汚染が進むにつれ、1年を通して手放せないものとなっていきます。そして現在、この習慣は東アジアの文化的基盤の上に、深く浸透しています。マスクは単なる感染予防具ではなく、パンデミック下で社会を機能させるための協調性や連帯感を象徴するものとなっています。マスクは、市民としての義務感を満たし、感染者も非感染者も同様に抱いている恐怖感を克服するためのものなのです。
昔ながらの予防具「マスク」で身を守る
新型コロナウイルスの感染予防策としてもっとも手軽に実行できるのが、マスクの着用です。マスクの着用には大きなメリットがあります。マスクを着けることで、感染者が他者に感染させるリスクを抑えることができます。マスクには、鼻や口から放出される飛沫(エアロゾル)を大幅にブロックする機能があります。咳を1回するだけで3000もの飛沫が放出されます。「マスクを着けて!」と言うだけでも、何千もの飛沫が放出されるのです。
N95マスクおよび手術用マスクは、0.3ミクロンの粒子をそれぞれ95%および75~80%ブロックできます。すべてのマスクがウイルス粒子の侵入を完全に防げるわけではありませんが、全体の数を少しでも減らすことで、免疫系への負担を軽減することができます。
マスクは、ウイルスを含む飛沫核を防ぐ際にとくに重要です。飛沫核は微量の流体で、ウイルスを含んだ状態で空気中に数時間漂い続けます。その直径は通常5µm(人間の髪の毛の20分の1)以下です。飛沫核は、重力で地面に落下する比較的大きな飛沫とは対照的に、気流に流されて人に吸引されます。つまり、微細な飛沫核は、ウイルスを運ぶ媒体として機能します。飛沫核は、会話、呼吸、咳などによって放出された飛沫が自然乾燥することで形成されます。
新型コロナウイルスは、発症前または無症候の人から放出された飛沫が主な感染経路となっています。これまで、このウイルスを含む飛沫が空気中を漂う時間は3時間程度と考えられてきましたが、最近のプレプリントでは、飛沫中のウイルスは16時間以上生き続ける可能性があると報告されています
ウイルスの拡散を防ぐためには、感染者を物理的に遠ざけたり追跡したりすることによって、人と人との接触を制限する必要があります。公共の場でマスクを着用することは、対人接触による感染リスクを軽減するのに効果的であることが実証されています。当然ながら、この予防策は、すべての人がマスクを着用した場合にもっとも効果を発揮します。
マスクの着用で飛沫感染をブロック
サンフランシスコ大学のデータサイエンティスト、ジェレミー・ハワード(Jeremy Howard)氏率いる研究チームは、新型コロナウイルスの感染に関する数理モデルを提唱しています。このモデルでは、3つの要素(マスクのウイルス予防効果、マスクを着用する人の割合、ウイルスの感染率)を考慮して、マスク着用の効果を評価しており、公共の場でのマスク着用率が最大になったとき感染率が最低となって感染拡大が効果的に抑えられ、最終的に感染が止まると予測しています。また、自作マスクなどの非正規品も、すべてのウイルス粒子をブロックできるわけではないものの、感染率を低下させられるとしています。
無症候感染者が感染拡大の大きな要因となっていることと、マスクで効果的にウイルスをブロックできるということを考慮すると、すべての人がマスクを着用することこそが、感染拡大の最善策と言えるでしょう。
インド工科大学のグルスワミー・クマラスワミー(Guruswamy Kumaraswamy)氏、アンシスソフトウェア社のプレム・アンドラーデ(Prem Andrade)氏、ファイザー社のパンカジ・ドシ(Pankaj Doshi)氏率いるインドの研究グループは2015年、空気力学シミュレーション技術を用いて、咳やくしゃみによる粒子の分散に関する研究を行いました。その結果、咳やくしゃみによって放出される粒子の大きな飛沫はマスクでブロックできること、また、粒子が比較的小さな飛沫はマスクなしだと2メートル近くも飛散するのに対し、マスクありだと飛散距離を30cm以下に抑えられることが分かりました。さらに、粒子がマスクをすり抜けた場合でも最大1.5メートル程度しかウイルスが飛散しないことが分かり、2メートルの物理的距離を保つことの有効性が証明されています。
ケンブリッジ大学は2013年に、家にある材料で作った自作マスクと手術用マスクの効果を、インフルエンザの流行時において比較した論文を発表しています。その結果、調査対象となったすべてのマスクで、被験者が空気中に放出する微生物をある程度抑制できることが分かりました。その中でも、布巾や綿混紡のマスクは、小さな粒子のブロック効果が高い(それぞれ83%、74%ブロックする)ことが分かりました。
布マスクは、医療用のN95マスクほどの効果はないものの、感染者が着用することで周囲の人々への感染を防ぐ役割を果たします。布マスクは、感染者から感染する可能性を軽減できる、感染源のコントロールが可能なツールなのです。そしてこれこそが、公共の場でマスクを着用すべきもっとも重要な理由です。
インド政府は、防毒マスクや手術用マスクが医療・臨床コミュニティに優先的に届くようにするために、一般市民に布マスクの使用を推奨しています。台湾、タイ、チェコなどの国も、公共の場での自作マスクや布マスクの使用を推奨しています。布マスクは、手術用マスクやN95マスクの代替品として、ウイルスを含む粒子をある程度ブロックできます。そして、着用率が高まるほど、感染予防の効果が高まるのです。
マスクの着用は、昔から続いている強力な予防策です。なぜなら、マスクは感染拡大という生物学的な意味合いを超え、現在のパンデミックのような困難を乗り越えるために必要な、社会的責任感や連帯感を促すものとなっているからです。
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