「博士論文に取り組んでいると、泣いてしまうことがあります」
博士論文の執筆は、感情を消耗するプロセスです。それは分かっていることです。それなのに、対処方法をいくつも持っていても、ときどき泣いてしまうことがあります。
このような状態になってしまうのは私だけではありません。姉が博士課程に進学したときは、「最初の学期で少なくとも2回は泣くことになるだろう。泣かなかったら、あなた自身に何らかの問題があるということだ」と言われたそうです。
博士課程での感情の消耗については、これまでも積極的に発信してきました(興味のある方は、私が過去に執筆した記事、「Pre-proposal is Hell(プレプロポーザルは地獄)」、「Not a Marathon, Not a Sprint(マラソンでもなければ短距離走でもない)」をご覧ください)。今回は、学位論文の作業中に泣いてしまうことがあること、そしてそんな自分を受け入れている理由についてお話ししようと思います。
私が泣くとき:
- 学位論文の研究プロポーザルについて考えているとき
- 研究プロポーザルのファイルが入ったフォルダを見たとき
- ファイルそのものを見たとき
- ファイルを開くとき
- タイピング中
- 保存ボタンを押したとき
- ファイルを閉じたとき
- 作業を終了したとき
私が泣く理由:
- (睡眠と食事はしっかりとっているものの)疲れていて、これ以上は前に進めないと感じる
- 主張を思い通りにまとめられない
- あらゆる方向から主張してみても、堂々巡りになっていると感じる
- 適切な参考文献を見つけるために、読まなければならない論文が多すぎる
- 完成の目処が立ったと思っていたのに、実際はスタート地点に立ったばかりであることに気付いた
- 総合試験(Comps)は2年前に完了しているのに、研究プロポーザルの審査は1つも通っていない
- 夫や姉、PhD Projectの仲間からのサポートを受けているのに、孤独を感じる
- 博士号を取得できたとしても、最終目標である教授になれるかどうか不安
とはいえ、このように多くの涙を流しながらも、私は前に進み続けています。
私が前に進み続ける理由:
- この経験によって、世界を異なる視点で見られるようになっており、そこに面白みを感じている
- これからどれだけのことを学べるのかが楽しみ
- 世界がどのように動いているかについて問いかけるのが好き
- その問いに答えるためのツールやスキルを習得中である
- 社会の成り立ちについて話し合うのが好き
- 社会を知るためのさまざまなフレームワークを持つことができている
- 人間の不可思議さ、不完全さが好き(その人間が作った組織やシステムも不可思議で不完全)
- これらの組織やシステムの中で、人類が世代交代を続け、どうにか機能を維持している(していない場合もある)ことを知って感銘を受けている
でも、私が前に進み続ける最大の理由は、これが社会科学者になるための唯一の道だからです。
思考を広げること、これまでとは違う目で世界を見ること、世の中を理解する方法を再構築することは、容易ではありません。
だから、泣くことがあるのも当然でしょう。私にとって大事なのは、博士課程は、「涙を流す価値のあるもの」だということです。
[クラウディア・ゴンザレス(Claudia González, @ScienceClau)氏は、ワシントン大学で経営戦力論を専門とする博士課程の学生です。この記事は、2016年8月30日にゴンザレス氏のブログ「Dyslexic PhD」で公開されたもの(こちらでご覧頂けます)を、許可を得てここに再掲載したものです。]
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