ライラックの香りの記憶―嗅覚を失って
注:この記事は、ムン・スンシル(Moon Sungsil)氏が韓国語で執筆して自身のブログ(labsooni mom)で公開したものを、許可を得て翻訳版として再掲載したものです。
「何か変な臭いしない?」
私が匂いの分からない体であることを知っているのに、10年近く生活を共にしている夫はときどきこう聞いてきます。トイレの床掃除をした後に臭いをチェックしてくれる息子は、私にとって頼れる麻薬犬のような存在です。
「もう大丈夫だよ。でも、どっちみちお母さんには分からないもんね」
「そうね」
私には、30歳になる前に博士号を取るという目標がありました。28歳のとき、嗅覚を犠牲にしながらその目標を達成することができました。
当時の研究室は、徹夜明けのメンバーが横になっていようものなら誰も通れなくなるほどの狭いスペースが中央にあるだけでした。培養器2台、無菌実験台1台があるエリアには、2人が肩を並べてようやく座れるだけのスペースしかありません。反対側のエリアには試薬類、実験テーブル、シンクが所狭しと並び、入口の横に蛍光顕微鏡と戸棚が置かれた小部屋があるだけでした。私は、このような環境で青春時代の5年間を必死に過ごしました。誰に頼まれたわけでも強いられたわけでもありませんが、週末も含めて毎日全力で研究に取り組んでいました。
その研究室では、毎年春になると小窓からライラックの香りが優しく漂ってきました。小窓からは、紫のモクレンが満開になっている様子も眺められます。ライラックの香りを感じなくなったのがどの年の春だったのかはもう覚えていませんが、おそらく、ツンとする酢酸の臭いを感じにくくなってきた頃と同じ期だったのでしょう。味覚は残っていたので、あまり気にしていなかったのだと思います。
その後、青春時代を捧げた研究室を去り、ポスドクとして米国に渡りました。新しい職場での初日に、多くのトレーニングセッションを受けました。ラボに入ることが許されたのは、基本的な安全講習をすべて受け、病院で血液検査と3~4種のワクチン接種を終えてからで、初日からすでに1週間が経過していました。
12年後の今日、12年前に受けた安全講習と同じ講習を受けています。安全講習は毎年受けており、その数は年々増え続けています。ドラフトチャンバーの利用に関するセッションは今年から必須になり、去年と一昨年には、試薬漏れやコンタミネーションへの対処法に関する講習が必須になりました。
数年前のある日、2-メルカプトエタノールと呼ばれるゲルを硬化させる試薬をたった10µl使っただけで発生した異臭によって、安全管理者の判断で実験室が一時閉鎖されたことがありました。再び入室を許されたのは、安全マニュアル通りに対応がなされ、換気機能に問題がないことが確認されてからでした。この一件以来、試薬は必ずドラフトチャンバー(この機器が設置されている部屋に行くには、扉を3つも開ける必要があります)の中で使わなければならなくなりました。
過去数年で20件もの安全講習を受けたことを証明する書類を提出した後、青春時代を過ごした研究室でかいだライラックの香りがふと懐かしくなりました。あの頃の私は実験に夢中で、安全について無知でした。実験室に溢れるさまざまな試薬、ウイルス、細菌への対策として、私たちは1日に何度もエタノール消毒を行なっていたのです。
当時の私たちに、なぜ誰も安全指導をしてくれなかったのでしょう?なぜ、あの研究室には安全規則がなかったのでしょう?私は、赤ちゃんだった頃の息子の匂いを嗅ぐことができませんでした。そのときばかりは、嗅覚を失ったことを後悔しました。私は10年前から匂いの記憶がありませんが、それ以前の記憶は息子に伝えているので、息子はさまざまな匂いの知識を身に付けています。
現在の実験施設ではどのような対策が行われているのでしょうか。花粉が飛び交う春になると、青春時代を過ごした研究室に漂うライラックの香りを思い出します。
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