「世界全体に適用可能な紛争理論の構築を目指して」廣瀬陽子先生(慶応義塾大学)

「世界全体に適用可能な紛争理論の構築を目指して」廣瀬陽子先生(慶応義塾大学)

廣瀬先生は政治学の中でも、コーカサスを中心とした旧ソ連地域を研究していらっしゃいますが、そのきっかけをお聞かせください。

もともとは国際政治学を研究したいと思い、東京大学大学院法学政治学研究科に入りました。入学間もない頃に、国際政治の研究をするのであれば、地域を持たなければならない、地域があるとその視座から色々なものが見えてくるというご指導を受けたのです。その頃、私は旧ソ連地域の動向に関心を持っていました。 大学に入学して2週間後くらいの時に、ソ連最後の大統領となったミハイル・ゴルバチョフが来日し、「日本の学生と語る」という企画がありました。応募したところ、選抜されまして、直接お話を聞くことが出来ました。それでソ連、特にペレストロイカに対する関心が高まっていたところ、それから1年も経たないうちにソ連が解体し、その後、地域の情勢が不安定化して、多くの紛争が起こるようになりました。それで、旧ソ連地域にフォーカスして、国際政治を研究してみようと思ったのが最初です。


旧ソ連地域の中でも、なぜコーカサスなのかということは、よく聞かれます。旧ソ連はヨーロッパからアジアにまたがる広大な地域であり、ソ連解体後、15の共和国が独立し、民族的にも多様です。特にコーカサスは民族間の紛争が絶えない地域で、多くの紛争がある中、私はナゴルノ・カラバフ紛争に注目しました。簡単に言ってしまえば、アルメニアとアゼルバイジャンの間の領土紛争です。 実体はアゼルバイジャン領の約20%に相当する領域がアルメニア人に占拠されていたのですが、当時巷に溢れていたのは情報発信に長けたアルメニア側の主張ばかりでした。一方のアゼルバイジャン側は、どちらかというと被害者であるにもかかわらず、世の中に出回っているのはアゼルバイジャン側のネガティブな情報ばかりで、アルメニアロビーの力により、アメリカから経済制裁までされていました。

それが不条理に感じられ、アゼルバイジャン側の視点から研究してみたいと思い、国際連合大学秋野フェローとして、2000年から約1年間、アゼルバイジャンのバクーで研究をしました。またアゼルバイジャンは産油国で、エネルギー面でも世界の注目を集めています。エネルギーの流れとしても、国際政治の中に位置づけることは有益だと思いました。国際政治の色々な要素が詰まっているのが、アゼルバイジャンであり、コーカサス地域だと考え、自分のフィールドとして選びました。

 

文献を読むだけではなく、実際に現地に出向いて調査をされることを重視なさっているようですね。

歴史の研究であれば文献だけでも十分かもしれませんが、私の専門は現代政治ですので、実際に見ないと分からないこと、人の声を聞かないと分からないことが多いと思っています。文献研究はもちろん重要ですが、文献だけに頼るのは危険だと考えています。

ソ連時代もそうですが、嘘で塗り固めても、活字になると、それなりに正当性を持ったものに見えてしまいます。例えば、私が研究している未承認国家(旧ソ連にはアブハジア、南オセチア、ナゴルノ・カラバフ、沿ドニエストルの4つがある)の教科書には、自分達の正統性を維持する上で都合の良いことばかりが書かれていて、外の人間が見ると、首をかしげてしまうような内容が多く含まれています。それでも文献と言えば文献ですので、引用元として、学術論文にすら使われてしまう可能性があります。それは恐ろしいことです。疑問を感じる内容であれば、自分で確認する必要があるのではないでしょうか。

ソ連時代のように、現地に赴くのが難しい状況があるのならいざ知らず、今は査証が必要な国もありますが、以前に比べれば入国がかなり容易になっています。それなのに現地を自分の目で見ることを怠るのは、研究者の姿勢としてどうかと思います。

 

10月1日に行われたグルジア議会選挙の国際選挙監視団に、日本政府から派遣参加されましたが、いかがでしたか?

選挙は公正に行われたと思います。透明の投票箱が用いられ、選挙プロセスに関しては、国際監視団よりも、むしろ国内の監視員の方が厳しい目で選挙を監視していました。ほとんどの各党派からも監視員が投票所に派遣され、投票開始前から、投票風景、そして開票終了まで全てのプロセスが撮影されていました。その様は外国からの監視員が、「透明性がありすぎる」と表現するくらいでした。サアカシュヴィリ大統領の強権化が言われますが、彼は欧米から支援を受けているからこそ大統領の地位に留まることが出来ます。選挙を公正に行わなかったら、見捨てられてしまうでしょう。選挙期間も後半になり、反対派のネガティブキャンペーンの成功もあって、与党が劣勢になってくると、アメリカやEUは大統領に対し、選挙に負けたとしても結果を素直に受け入れるよう、相当強い働きかけがあったと言われています。

結果、与党側は敗退し、大統領は結果を受け入れました。もし、大統領がそれを受け入れなかったら、暴動あるいは内戦は避けられなかったでしょう。また反対に与党が勝ったとしても、暴動になっていたでしょう。平和裏に事が収まるのは、野党が勝ち、大統領が負けを認めるという、今回のシナリオしかなかったと思います。

 

英語論文を書かれるのは圧倒的に理系の研究者の方が多いのですが、廣瀬先生の御専門分野でも必要なのでしょうか?

グローバル化が進んでいる現在では、国際的に研究成果を発信していかないと学術的にも大きな前進ができないと考えています。日本では、私と同じ分野の研究者が、若手では増えつつあるものの、全体的にはまだまだ少数です。よって日本語で発表しても、批判的に検証して頂ける機会が少ないのが現状です。  他方、アメリカを中心とする外国では多くの研究者がいます。英語で発表することで、そうした人達から様々なアドバイスをいただいたり、議論したり、ひいては研究協力をすることも出来ます。

学会で会った外国の研究者が私の研究内容に興味を持ってくれたとしても、日本語でしか論文を書いていない場合はそれを紹介することが出来ません。数少ない英語で書かれた論文を送付するしかないのですが、「本当はもっと研究しているのに」と残念な思いがします。  また最近は、日本国内での旧ソ連研究でも、英語でコンフェレンスを開催したり、出版物を出したりということが増えてきています。よって英語での原稿執筆が求められます。国際的に発信したいと自分が思っているだけでなく、周りの状況も国際化に向け動き出していて、英語による研究がますます必要になってきていると感じます。

 

2013年3月から1年間、ニューヨークのコロンビア大学・ハリマン研究所で在外研究をされる御予定ですが、これから英語論文を書かれる機会は多くなるのでしょうか?

書きたいと思っています。これからますます貴社にお世話になると思います(笑)。政治学の研究者の英文校正サービス利用者は少ないということをお聞きしましたが、それは私自身も感じております。貴社にお会い出来る前に、他の複数の会社に英語論文の校正を御願いしました。その中には、知人から「この会社は信頼できる」と紹介を受けた会社もありました。にもかかわらず、専門用語が多すぎるという理由で校正を断られたり、一旦引き受けてから数日後に、「やはりうちの手には負えない」と原稿を返されるということが何度も続きました。ある会社には、「どうせ日本語で最初は書いたのでしょうから、英語版ではなく日本語版を送って欲しい。それをこちらで英訳します」と言われました。でも、その論文は最初から英語で書いたので、日本語版はありません。もう、この原稿はお蔵入りかなとあきらめかけていた時に、貴社に巡り会いました。「これだ!」と思い、すぐ注文してしまいました(笑)。

 

2012年にお会いした時は、正直なところ、当社のエディターが廣瀬先生の御専門分野を100%理解した上で校正が出来るか、多少心配もあったとおもいますが、いかがでしたでしょうか?

素晴らしい校正をしていただき、物凄く感激しました。単なる英文チェックだけでなく、内容に踏み込んだコメントをしてくださったのですが、やっていただいた校正やいただいたコメントの全てが納得出来ました。貴社に御願いしたのは、一昨年、アメリカスラブ学会という私の研究分野では権威ある学会の年次大会で発表した内容を元にまとめた論文です。学会で受けた指摘事項とほとんど同じ内容のコメントを頂いたので、この方は本当に内容をよく理解して校正をされていると思いました。単なる英語の専門家ではなくて、本当のプロの仕事だと実感しました。

 

今後の抱負は?

学部のゼミで、地域研究と理論研究をどう結びつけるかということをテーマに取り組んでいるのですが、その必要性を強く感じています。地域研究ばかりをやっていると、他の地域と比べての特殊性ばかりが見えてきて、何の対話もないまま終わってしまいます。一方、理論研究の方の理論は、地域研究者の目から見ると、机上の空論に見えてしまうことが多くあります。例えば、この理論は欧米では適用出来るかもしれないが、私の研究している地域では全く当てはまらないというケースがあります。そこで、地域研究と理論研究が対話出来たら、面白いと思っています。

理論研究の中にも地域研究から出来ているものがあります。例えば、紛争の理論の多くはアフリカの地域研究から生まれてきていますし、権威主義という考え方も地域研究から生まれました。理論と地域研究の両方があってこそ、国際政治という学問が栄えていくのではないでしょうか。

冒頭にお話ししましたように、私は最初、国際政治の研究から入ったのですが、最近の研究のアウトプットは地域研究ばかりになっています。これからは、もっと踏み込み理論研究も含め、両方を高めていきたいと思っています。地域研究で養った視座を世界レベルに広げること、最近は未承認国家の問題に取り組んでいますが、これらの研究成果を世界レベルに広げ、比較研究をしたいです。例えば、アゼルバイジャンだけに当てはまるという理論ではなく、世界全体に適用出来る、概説的な何か1つ筋の通った理論を導き出したいと思います。

 

廣瀬陽子先生のプロフィール:現在、慶應義塾大学総合政策学部准教授。慶應義塾大学総合政策学部を卒業し、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了、博士課程単位取得退学後、慶應義塾大学大学院で政策・メディア博士(論文)を取得。 『強権と不安の超大国・ロシア―旧ソ連諸国から見た「光と影」』『コーカサス―国際関係の十字路』『ロシア 苦悩する大国、多極化する世界』など著書多数。
趣味は旅行、料理。

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