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ノーベル賞受賞で、人生はどう変わるのか?
先週から今週にかけて、ノーベル賞が発表されました。受賞者である科学者たちの人生に、変化がもたらされることになります。ノーベル賞受賞者は、ほとんど同僚だけにしか知られていない存在から、一夜にして、表舞台に立つ有名人となります。名声、賛辞、賞金、メディアの注目など、受賞後は夢のような日々が待っているに違いありません。受賞者たちは、この栄誉にどのように対応するのでしょうか。栄誉の影響は、そう長くは続かないものなのでしょうか。それとも、科学者の人生や仕事に、長期的な影響を及ぼすのでしょうか。
ノーベル賞受賞の発表直後から、受賞者は急に忙しくなります。受賞者は、学術機関や学会、ラジオやテレビ番組などでの講演依頼を多数受けることになります。また、産業界の面々や政策立案者、政治家に会うために、世界中を旅しなければならなくなります。受賞者の多くは、学術界で権威ある立場を与えられるだけでなく、政策の立案や実施に助言する、政府の要職に就くこともあります。たとえば、1951年に超ウラン元素(原子爆弾の燃料)を発見してノーベル賞を受賞したグレン・シーボーグ(Glenn Seaborg)博士は、米原子力委員会(AEC)の委員長を10年間務めました。ウィルス学者のマイケル・ビショップ(J. Michael Bishop)博士は、ヒトや動物の細胞にガン遺伝子が存在することを発見し、ハロルド・ヴァーマス(Harold Varmus)博士と共に医学・生理学賞を受賞しました。以後、ビショップ博士はカリフォルニア大学サンフランシスコ校の学長となり、ヴァーマス博士はアメリカ国立衛生研究所(NIH)の所長となりました。ヴァーマス博士によると、「(受賞後、)私の人生は激変しました。一介の科学者が、突然リーダーとみなされるようになったのです。国の問題にはまったく関わったことがなかったのに、科学政策に関わる質問に目を通す政府の委員会に入ったり、議会で証言したりするようになりました」と語っています。多忙な中、ビショップ博士もヴァーマス博士も、所属機関に自分の研究所を維持し、なんとか研究を続けてきました。
しかし受賞者の誰もが、公の生活と、情熱を注いできた研究とのバランスを保つことができたわけではありません。2001年に化学賞を共同受賞した野依良治博士の人生は、一変しました。「受賞前は、名古屋大学で自分の研究と教育に専念していました」と語る野依博士は、受賞後、研究から遠ざかり、政府の科学研究や教育環境の発展に関わる支援に深く携わるようになりました。受賞後に人生の目的や使命が激変した人は、ほかにもいます。ハリー・クロト―博士(Harry Kroto)は、1996年に化学賞を共同受賞しましたが、科学には全く関係のないものも含め、さまざまテーマでの講演で常に忙しいといいます。そのような義務を果たすと、教えること以外にはほとんど時間がなくなり、研究は完全に後回しになってしまいます。クロトー博士は「(ノーベル賞受賞につながる)発見などしないほうが幸せだったかもしれないと、仕事場でたまに考えます」と悲しげに語っています。
ノーベル賞が変化させるものは、何にも増して、受賞者に対する周りの態度です。超一流の素晴らしい科学者たる受賞者は、専門外のテーマも含め、あらゆる物事の権威として扱われます。受賞者の発言は深刻に受け止められるため、コメントにも細心の注意を払わなければなりません。2011年に物理学賞を共同受賞したブライアン・シュミット(Brian Schmidt)博士は、「ノーベル賞から授かったものは、何よりも、科学のために利用できる発言権です。自分の見解が公に発表されてしまうので、発言には注意しています」と述べています。
ノーベル賞は受賞者を称え、功績を認めるものですが、それに付随する課題ももたらします。それまで取り組んできたことと、受賞によって生じる新しい責任とのバランスをとり、専門外の分野に関わる誘惑を避けることが鍵となります。「依頼を引き受ける際は慎重になる必要があります。また、手に負えないほど多くの委員会に引きずり込まれないよう注意しなければなりません」と忠告するのは、1974年に物理学賞を共同受賞したアンソニー・ヒューイッシュ
(Anthony Hewish)博士です。同じくノーベル物理学賞受賞者のフランク・ウィルチェック(Frank Wilczek)博士は、この問題を的確に総括して次のように述べています。「(受賞の)主なマイナス面は、誘惑です。抵抗しようと思えばできるのですが、栄誉の上に留まっていたいという誘惑と、壮大な問いについて勿体をつけて話したいという、二重の誘惑に駆られるのです」
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