「博士課程はフルタイムの仕事のようなものです」
私は、アイルランドのリムリック大学博士課程に在籍中のナイジェリア人です。専門は、薬物送達や神経系の人工装具などの生物医学的応用を目指した機能性ハイドロゲルの創製です。ライターとしても活動しており、ブログ「Wandering Thoughts」を運営しています。さまざまなテーマで記事を執筆する傍ら、ポエムやスポークンワード・ポエトリーにも手を出しています。
2年前に博士課程に進学して以来、「あなたは学生なの?それとも働いているの?」と聞かれることがよくありますが、私はその質問の答えにいつも詰まってしまいます。
そこで今日は、博士課程の学生としての経験を紹介したいと思います。その前に、まずは私のバックグラウンドから説明させてください。
私は、2016年に製薬および工業化学の分野で学士号を取得しました。正直に言うと、その時点で博士号のことはまったく頭になく、修士号を取得したら就職しようと考えていました。しかし、人生は計画通りに進まないものです。
修士課程修了後の10月まで話を進めましょう。私は所属大学でそのまま博士課程に進学しました。新しいことを始めるときは誰もがそうであるように、私も期待に胸を膨らませていました。2年後には画期的な発見をして、3年半後には課程を修了している自分を思い描き、緻密な計画を立てていました。今振り返ってみると、そのときの自分を滑稽に思います。なぜなら、博士課程の3年目を迎えた今、画期的な発見などまったくしておらず、それどころか、ここまでの時間の半分は「私はここで何をしているんだろう?」と自問自答してきたからです。
博士課程において、物事を迅速に進めるための方程式は存在しないのです。「私は賢いから大丈夫」と思って進学する人は、「賢さ」が博士号を取得するための最重要条件ではないということに気付いていません。私は、「博士号取得のために重要なのは賢さではなく、困難から立ち直る力や粘り強さ、そしてやっていることに確信が持てなくても自分自身を突き動かす能力」だとよく言っています。
博士課程は、フルタイムの仕事のようなものです。厳密には学生なのですが、学部を卒業するのとはわけが違います。程度の差こそあれ、博士課程では自分のやりたいことをやる自由があります。そして、70%の時間は徒労に終わり、休む暇が与えられない仕事でもあります。私は、就寝中に研究の夢を見たり、真夜中に目が覚めて実験のことを考えていたりすることがよくあります。研究に前向きに取り組めないと、博士課程に人生を奪われてしまいかねません。大した成果をあげることもなく、ただ時間と体力だけを消費し続けることになるかもしれないのです。
博士課程で直面することになる心の葛藤や落胆、インポスター症候群、不安感、不眠症などについて話そうと思えばいくらでも話すことができますが、これらの話題はまた別の機会にとっておきましょう。強調したいのは、博士課程は肉体よりも、精神や感情に負荷のかかるものだということです。しかし、ほとんどの人がこのことを知らずに進学してしまうため、その後の対処が非常に難しくなるのです。
ここまで言えば、博士課程の厳しさが分かって頂けたかと思います。しかし、大事なことは、博士課程にはその厳しさを凌駕するほどの喜びがあるということです。実験などの些細なことをはじめ、論文がジャーナルにアクセプトされたときの達成感を味わったり、試行錯誤して有用な知識を身に付けたりすることで、喜びを得ることができるのです。ある課題に対するソリューションを見つけるという作業には、大きな喜びがあります。
博士課程は、アイデアを実行に移す自由が許されている場であり、見定めた課題を解決するためのクリエイティブな空間です。
博士課程を全うするには相応の能力が必要ですが、苦労する価値は間違いなくあります。大変な道ですが、それに見合ったやりがいもあります。「過去に戻れたらまたこの道を再び選ぶか?」と問われれば、私は「はい」と答えるでしょう。博士課程の生活には、激しい感情の揺さぶりや浮き沈みがあります。万人が受け入れられるものではありませんが、それがまた魅力なのかもしれません。きっと、選んでみる価値のあるおもしろい道だと思います。
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シャロン・ボランタ(Sharon Bolanta、@Shayrunn)氏は、リムリック大学(アイルランド)の博士課程の学生です。この記事は、2018年10月9日にボランタ氏のブログ「Wandering Thoughts」で公開されたもの(こちらでご覧頂けます)を、許可を得てここに再掲載したものです。
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