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謝辞には誰を含めるべきか?
事例: ある日、エディテージの出版サポートサービス部は、一人のお客さま(以下、依頼者)から、自分が発表した論文をめぐる問題についてアドバイスを求められました。その依頼者は、研究をどのように展開すべきかという方法をめぐって指導教官と意見が合わず、研究の途中で大学を変えていました。けれども、研究の初めの段階では、その指導教官が依頼者の相談に乗っていたため、彼は謝辞のセクションに指導教官の名前を入れていました。「本研究の初期段階において貴重な助言をしていただいたことに対して、XXX先生に感謝します」と。
ところが、論文の出版から数週間後、掲載されたジャーナルに対して、「当該論文に関係することを望まない」旨の手紙が指導教官から届きました。その指導教官は、謝辞に自分の名前が加わることを伝えられていなかったと述べ、さらに、指導したことが論文に反映されていなかったことから、自分への謝辞は適切ではないと指摘していました。その指導教官は、自分の名前の即刻の削除を望んでいました。
ジャーナル側は依頼者に説明を求めるとともに、できるだけ早く問題を解決するよう促しました。依頼者は心配になって、事態にどう対処したらよいか、私たちにアドバイスを求めてきたのです。
対応: 依頼者に聞き取りを行うと、彼が以前に所属していた大学の指導教官に謝辞を述べたいと思うのには、2つの理由があることがわかりました。
1. 大学を去ることにつながった、当初の意見の不一致を解決するには、指導教官に謝辞を述べるのが良い方法だろうと思った。
2. 指導教官はその分野では著名な人物であり、彼とのつながりを書いておくことは、論文の掲載に有利だと思った。
私たちは、謝辞には研究に大きく貢献した人だけを含めるべきだということを依頼者に説明しました。今回の事例でいえば、一つ目の理由は全く個人的な理由であり、謝辞に指導教官の名前を入れることを正当化できません。二つ目の理由も、論文に有名な人の名前を入れることで読者にバイアスをかけている点から、非倫理的行為と言えます。
私たちはまた、誰かの名前を謝辞に入れる際には、事前にその人の許可を取るべきであるとも説明しました。今回の場合、仮に論文が掲載される前に指導教官の許可を求めていたら、指導教官はおそらく辞退し、このような問題は防げたかもしれません。
問題解決の一歩として、私たちは依頼者に対して、気分を害した指導教官に謝罪の手紙を書いて、出版済みの論文には速やかに「謝辞の記載に誤りがあった」旨の訂正文を付記すると伝えるよう、アドバイスしました。そうすれば、次の版からは指導教官の名前は削除されることになります。指導教官から同意を得るや、依頼者は訂正文を書き上げ、ジャーナルに送付しました。
要約: 謝辞のセクションは、その研究に対して貢献や支援をしてくれた人に、公に謝意を述べる欄になるわけですが、謝辞に誰を含めるかには一定の原則が存在します。
- 謝辞には、その研究に対して、何らかの方法で支援もしくは貢献してくれた人だけが含まれるべきです。誰かに阿ったり、著名人の名前を使うことで査読に影響を与えようとしたりといった個人的な理由で、誰かの名前を謝辞に含めることは倫理的ではありません。
- さらに、謝辞で感謝を述べる理由は、事実として間違いがないものでなければならず、誤解を招くようなものであってはいけません。貢献の程度と内容をうまく定義することができない場合には、「彼らの支援に(“for their support”)」とか、「彼らの助言に(“for their guidance”)」といった、一般的なフレーズを使うのが一番です。
多くのジャーナルが投稿規程(Instructions to authors)において、こうした原則を明示しています。 たとえば、米国医師会ジャーナル(The Journal of American Medical Association (JAMA))の投稿規程は、「著者は、謝辞に含められる人物から、書面による許可を得なければならず、責任筆者(corresponding author)はこうした許可が得られたことを確認しなければならない」としています。
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