就活が忙しすぎて学生が研究する時間がない、と多くの先生が嘆いています。大学はそもそも勉学に励むところなのだから就活はそこそこにすべし、という意見もありますが、学生にとって就活は大事。では、研究と就活が密接に絡んでいたらどうなるのでしょうか。連載「研究者の思考さくご」第2回は、「大学生が就活で忙しすぎて研究できない問題」をテーマに、国立情報学研究所の宇野毅明(うの・たけあき)先生が、ちょっと引いた目線で新しい世界線を考察していきます。
最近、大学生、特に理系の研究室に所属する学生が、研究と就活の両立に苦戦しているという話をよく聞きます。研究が忙しすぎて就活に手が回らないという学生もいれば、就職活動を優先して研究が疎かになってしまう学生も。大学の先生からも「就活のせいでろくろく研究ができない学生が多くいる」といったぼやきを聞くこともしばしばです。就職活動が本格化する時期と、研究が忙しくなる時期が重なっていることもその一因のようです。
なぜこんなことになってしまうのか、いろいろな原因が考えられますが、大学で学生が修めるものと就職先が求めるものが一致しない、という点を考えてみましょう。筆者はアルゴリズム理論、オペレーションズ・リサーチなど、比較的情報技術や社会と根太くつながっている学問を修めましたが、それでも自分が学んだことを直接的に使う企業は0.1%もないと思います。ほとんどの企業のほとんどの職務は、大学の研究と直接的に関係していないでしょうから、学生としては、企業と関係ない研究を進めるよりも、企業とのつながりを作る就活のほうが大事に思えるかもしれません。
その一方、ほとんどの大学生には「現実的な選択肢」というのがあるはずですから、少し冒険していい企業に挑戦してから現実的な選択肢に絞っていけば、そこそこの時間で内定は出そうなものです。これだけ人手不足が叫ばれているのですから、皆が皆、就職難とはならないでしょう。企業にしても、採用活動に大きなコストをかけ続ける理由はありません。研究ができなくなるほど就活に時間を取られる学生がたくさんいる、という状況はちょっと説明力不足のように思います。
と、ここまではまあまあよく聞く話ですし、ここからやれ学生がこうするべきだ、やれ企業がこうするべきだ、今の社会は変えないとダメだ、と主張し始めると、なんだか暗い気持ちになってしまいますので、ちょっと違うことを考えてみましょう。いい研究したかどうかが評価されず、研究がほったらかしになるのが困ったことなので、仮に「ほとんどの企業が、学生がいい研究をしているかどうかをとても重要視している世界線」を考えてみます。思考実験ですね。
この世界線では、学生はいい就職をしたいので、狙った企業、狙った業種の人に「良く見られる」研究をしたくなるでしょう。狙った業種がない人は「一般受けする」「専門性のない人にも簡単に良さが伝わる」研究になります。なるべく素敵に見えるものがいいですね。「インスタ映え」する研究とでも言っておきましょうか。研究が就活の一部になるのですから、町には“映える研究”のハウツー本が溢れ、大学は映える研究ランキングで選ばれます。「いろんな分野にまたがり」「難しい基礎を習得しなくても」「すぐ結果が出て」「成果が数値やもので見えやすく」「SDGsなど最新の流行に乗り」「企業で即戦力になりそうな」研究をすることが求められます、いや、”求められていると感じる”ようになるでしょう。一部の大学を除き、多くの大学は学生を集めるためにこういった研究テーマが溢れることになり、先生方は一生懸命そのような研究テーマを探し、作り続けるわけです。理工系も人文系も等しく大変な状況になりそうですね。
こうした映える研究でなくても、筆者の分野では最近「いい研究をした優秀な学生はみんな巨大IT企業に行ってしまう」という嘆きがあります。これは、研究が企業の職務と大いに関連しているときにおきる例で、学生の内容が評価される場合でもやっぱり苦労はあるのです。また、特定の分野や特定の研究テーマに学生が集中してしまう(“映える分野”ですね)問題もあります。状況が変れば、それはそれでまた別の難しさが出てくるのだと思います。
過去には、「就職活動の期間が制限されていた社会」「大学推薦などである程度自動的に就職が決まる社会」もありました。相対的に自身の夢をかなえるような就職活動がしにくいのでいろいろ文句が出ましたが、研究にはたっぷり時間がとれていたはずで、大学で本来学ぶべきことはきちんと学べていた社会だったのかもしれません。
結局のところ、全員がいい就職をして希望を叶えることはできないのです。人生において働く時間は30年以上。研究はたかだか1~3年。そう考えると就活に力が入るのもわかります。いずれ転職するにしても、なるべくいい会社でスタートしたいでしょうから。つまり、どのようなルールにしたところで、学生は就活に全力を投入しますし、学生が夢を追えば、その分競争は厳しくなり、就活で学業と生活が埋まってしまいます。一方で、研究で評価されると、研究が就活になり、学問本来の目的ではなくなってしまいます。これもしんどいですね。就職に厳しい競争があるかぎり、どう転んでもしんどいのだと思います。
こうならない道を考えるとするなら、就活での学生の評価の軸を「研究をがんばれば身につくもので」「容易に成果が出ず」「明確に評価できない」ものにするのはどうか、と思います。具体的には、考える力、伝える力、論理を構築する力、新しい視点を見出す力などです。コミュニケーション能力とよばれるものも、こういった範疇なのかと思います。実際企業ではこのような力が業務に大きく有益でしょう。
考える力のような曖昧なものをどう評価するかは難しいですが、ひとつの方法として、考える力を分解する、というアプローチがあります。例えば、数学の証明する力は、物事を場合分けする力、効果的な場合分けの軸を見出す力、多くの細かい場合分けを抽象的な特徴で説明する力、反例を見つける力、既存の定理の言明に現在の問題を落とし込む力など、数え上げればきりがないほど、細かい思考力の総合になっており、それらをまとめて「証明力」のような言葉で説明しているのが現状です。学生も研究者も、それぞれ得意なものと苦手なものがあり、均一ではありません。人文学にも、俯瞰する力、世界観を構築する力、あるものと他のものとの同質性を見出す力など、様々な力があります。このように細かくすれば、評価がしやすくなります。他にも、実際に難しいことを考えてもらい、それを説明してもらうことでもできます。一昔前に「日本に電柱は全部で何本あるかを推察してください」というような問題がありましたが、こういうものも、考える力を見るには良い方法だと思われます。
実際のところ、研究に従事して身につく力、企業で実際に発揮されている力の一番基礎的なところは、このような力なのだと思います。研究に従事したことがある学生を積極的に雇用したいのであれば、こうした力を見る方が、より本質的ではないかと考えます。この点が明確に着目されるのであれば、研究をがんばればいい就職が望める、研究を頑張った人を採用すればいい人事が望める、そういったポジティブなスパイラルができるかもしれません。