自民党が石破新総裁となり、新内閣が発足し、解散総選挙となるなど、政治の話題が続いていますが、研究者の世界にも「政治」があります。ややもすると嫌われがちな政治ですが、なぜ嫌われてしまうのか。連載「研究者の思考さくご」第12回は、「政治っぽいことはなぜ嫌われがちなのか」をテーマに、政治が嫌われる理由について、国立情報学研究所の宇野毅明(うの・たけあき)先生に考察していただきます。
最近は政治の話題が盛り上がっていますが、国政だけでなく、社会や集団の中で意見の違がいや利害関係の調整することも「政治」と言いますよね。研究者の中にはときどき、この「政治」をする人、特に大学の中で組織の運営に関わる政治的なことをする人のことを、「あいつは政治ばかりしている」というような言い方で敬遠する人がいます。その理由は2パターンあるかもしれません。ひとつは、「政治」をする人を下に見ていること。研究者の本業は研究なので、「政治ばかりしていたら研究者として失格」ということなのかもしれません。もうひとつは、「政治」自体が嫌いであること。「そもそも政治とかが嫌いだから大学に来た」、「政治が好きなやつはろくなやつじゃない」など、政治に対してネガティブな言い方をする研究者は多いようですが、この傾向は研究者もそれ以外の人々も、あまり変わらないかもしれません。政治家叩きは、その辺のソーシャルメディアを見ればいくらでも見つけられますから。
とはいえ、政治はとても大事です。たとえそれが組織の中の「政治」でもです。「政治」が実は、それを敬遠する研究者の研究活動をしっかりと支えている可能性もあります。みんなが勝手なことを言っていたり、誰も関心を持たなかったりすることは、「政治」でなんとかしているわけです。「政治」がなかったら、組織はろくろく意思決定もできないでしょう(一応、ワンマン社長も政治の一形態ですね)。というわけで今回は、なぜこんなにも大事なのにも関わらず、国政と組織運営どちらも含めた広い意味で、「政治をする人」が嫌われてしまうのかを、情報系研究者っぽく考えてみたいと思います。
嫌われることの多い政治家ですが、良い判断、妥当な判断をする政治家ならいいかというと、そういうわけでもない気がします。有能と言われている政治家のほうがかえって叩かれていたりしますから。逆に、政治家になってもあまり目立った働きをしていない人は、それほど嫌われないように思います(「仕事をしていない」と文句は言われそうですが)。政治に対する文句をもう少し詳しく思い起こしてみると、意思決定の内容、およびその決め方に文句がある人が多いように思います。政治家は、国民の利益を最大化するための意思決定を迫られ、それを具体的な政策に落とし込んで実現する必要があります。会社や大学などの組織であれば、組織の成長や、構成員、顧客の利益拡大に向けた意思決定が求められます。それでは、こうした政治的意思決定の内容に文句が出やすいのはなぜなのでしょうか?
例えば、ある組織において、とある意思決定をしたくて、選択肢がいくつかあるとします。予算の割り振りのように、どれかを選んだら、他のものを諦めなければいけない、と思ってください。ここで、誰かが「Aを行う」という意思決定をしたとします。Aを支持する人はこの決定を喜びますが、「A以外の選択肢がいい」と思っていた人は、この決定が気に入りません。Aを支持する人がたくさんいればいいのですが、特に選択肢が多様で、多数ある場合、支持する人が最も多い選択肢でも、全体からみたら少数になることがよくあります。そういう場合はどの選択肢を選んでも、その決定を喜ぶ人は少なく、その決定を気に入らない人のほうが圧倒的に多くなるわけです。昔のように、多くの国民に共通する大きな未解決の課題がたくさんあるような状況ならば、どのような選択をしても、比較的多くの人に受入れられると思いますが(この場合は、BやCを推している人がAでもまあいいか、と思っている)、現代のように多くの人々の価値観が異なり、直面する課題も異なっている場合では、「どの選択肢を選んでも多くの人は不満を持つ」という状態になります。
では、Aという決定が、Aを選ぶかBを選ぶか、というある種の対立軸の上にあって、「BではなくAがいい」という人と、「AではなくBがいい」という人がいるとしましょう。「減税か増税か」「老人福祉か若者への投資か」のように論点を絞った場合によく現れる構造です。この場合、意思決定者がAを選んだときは、Bを支持する人は大きな不満を持ちます。自身の考えと完全に逆のものが選ばれるわけですから、とても気にくわないと思います。逆に意思決定者がBを選ぶと、Aを支持する人は大きな不満を持ちます。つまり、AあるいはBのいずれかをそのまま選ぶと、一方は大満足で、もう一方は大きな不満となります。これは大きな対立を生むことになるでしょう。不満からくる対立がある組織や社会は雰囲気や治安が悪くなると思いますので、対立のある不安定な組織や社会は絶対に避けたい、と思ったら、AとB、両者の間の妥協案をCとして作るということになると思います。でも、妥協案であるCを選ぶという意思決定すると、Aの支持者、Bの支持者双方から「中途半端だ」と不満を持たれることになります。
大学の場合では、時代が進むと社会は変化し、それに伴って大学の意思決定にも変化が要求されます。そしてその変化は、学内のどこかの部署、誰かの業務や行動に変化を強いることになります。通常、変化は苦労を伴うものですし、短期的には損失を伴うことが多いです。そのため、どのような意思決定でも「嫌われる意思決定」となりうるのです。
このように、たとえベストな、合理的な意思決定をしても、多くの人から嫌がられるケースは多々考えられますし、むしろ多くの意思決定がこうなのではと思わされます。人は一般に、自分の推す選択肢のデメリットを深く考えたり、対立する相手の立場でその気持ちや利益を深く考えることをそれほど真剣に力をかけてしないと思いますので、この合理性が理解されることはあまりないと思います。そう思うと、誰が何をやっても、政治というものが嫌われてしまうのはしかたないことかもしれません。とはいえ、分断が起きないように、不満が少なくなるように、組織や社会が時代に取り残されないようにすることはとても大事なことなので、政治をする人にも、こういう観点から少し敬意を持ちたいものだなあと思います。
さて、一般の政治、選挙などではこんなにも嫌われず、ある程度支持を集めている人が多くいるように思われます。そこで次に、上記のような「合理的な選択が多くの批判を集める」ということが起きないようにするにはどうすればいいかを考えてみましょう。もちろん作戦はいくつもあるかと思うのですが、私が思いつくもの、情報系の研究者っぽいものを挙げてみたいと思います。
まずは、自分の主張する論点を1つにし、「Yes/Noなど2択の選択肢に主張を絞る」ことです。こうすると、どちらかの選択肢は過半数の支持を得ますから、そこを主張します。こうすれば、多くの人から嫌われなくなります。また、「なんの選択肢も示さない」という方法もあります。「がんばります」「日本に良い政治を」などの言葉を使って共感を得ることを狙い、具体的な選択肢を提示しないことで、嫌われることを避ける方法です。なんとなく思い当たる節もあるのではないでしょうか。
どちらにしても、あまり本質的な議論は行わないことが、あまり批判を受けず支持を集めやすい方法ということになりますね。ひょっとしたら政治が嫌いな人は、この非合理的な意思決定プロセスが嫌いなのではないでしょうか。しかし、これはある種のいたちごっこで、どちらの方法も相手の振る舞いに依存しているので、仕方がないのかもしれません。そうなると、うまい解決法は、建前と実際を分けるとか、運用や現場ががんばるという話になってきそうです。ちょっと目線を変える方向に話していたのですが、なんだか現実的なところに戻ってきてしまいました。情報学の考えるモデルや合理性も、意外と上手に世界を説明できるのかもしれません。