英語の壁を超える責任は、あなた一人で負わなくていい【後編】〜クイーンズランド大学 生物多様性・保全科学センター副所長、天野達也氏インタビュー

英語の壁を超える責任は、あなた一人で負わなくていい〜クイーンズランド大学 生物多様性・保全科学センター副所長、天野達也氏インタビュー

7月18日にPLOS Biologyに発表された天野達也氏ほか国際研究チームによる論文は、非英語ネイティブの科学者が直面する英語の壁を科学的エビデンスで示しました。天野氏へのインタビューの前編では、非英語ネイティブ研究者が研究に貢献しづらい環境と、それが研究領域の発展や社会課題解決の妨げになっている現状を伺いました。後編では、解決策の1つとしてのAI(人工知能)が果たす役割と、利用における課題、そして英語を共通語としたアカデミアでの、これからの学術出版の方向性について意見を伺います。

天野達也氏プロフィール

クイーンズランド大学環境学部 上級講師 / 生物多様性・保全科学センター  副所長

生物多様性保全科学を専門とする研究者。東京大学農学部で博士号を取得後、農業環境技術研究所、ケンブリッジ大学動物学部の研究員等を経て、現職。地球規模での生物多様性の変化とその保全に関する科学的エビデンスの創出と提供に取り組む。日本語を母語とする研究者としての当事者経験と、保全科学者としての経歴を通じて、科学における言語の壁の重要性とその影響の解明に関心を持ち、研究活動と情報発信を行う。

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AIは英語にハンデを持つ研究者の救世主になりうるか

―先生は非ネイティブの研究者が抱える英語のハンデを減らすために、アカデミア全体の全てのレイヤーでできる対策を具体的に提案されていますね。特に興味を惹くのが、「AIツールの活用」を上げていらっしゃる点です。先生のAIツール活用のイメージを聞かせてください。

天野 AIの活用は、今誰もが関心を持つトピックですね。私が提案した解決策の提案の一番根底にあるのは、やはり非ネイティブの研究者には何らかの英語サポートが必要であるということです。ただし、プロの英文校正を利用するのはお金がかかります。

天野氏が提案する、アカデミアのステークホルダーの全てのレイヤーで今日からできる英語支援
Fig 6. Examples of potential solutions to reducing disadvantages for non-native English speakers in each type of scientific activities.

AI, artificial intelligence. Also see [35,38,39] for other potential solutions.
https://doi.org/10.1371/journal.pbio.3002184.g006

我々の調査では、英文校正サービスを利用する予算がない国の一部の研究者は、知り合いや同僚にボランティアでお願いして英語チェックをしていることがわかりました。でも身近に手伝ってくれるネイティブの人がいる環境にある人は極めて少なく、所得水準の低い国では誰にもサポートを得られずに自分で書いた論文をそのまま投稿するしかない人がほとんどです。

日本の研究者は国際的に見て研究予算の余裕がある方だとは思いますが、それでも最近は予算が削られていて、今は英文校正の費用を捻出するのがかなり苦しい人が増えている。そんな中で今、無料やリーズナブルな価格で利用できるAI英文校正ツールが出てきました。これまで英文チェックを受ける予算がなかった人たちが、AIだから当然完璧ではないにせよ、何らかの形で英文校正を受けられるようになってきたのです。その意味で、AIは大きな貢献になるのではないかと思っています。

―なるほど、英文校正を受けるお金があるかどうかの格差も問題だったのですね。それが、AIで英文校正が安価になることで、是正される可能性はあるということですね。

天野 はい。ただ、そうは言ってもAIツールを提供する企業も収益化する必要があるため、無料版はベーシックなものしか使えない場合も多く、十分な機能を利用するには課金する必要があります。そういう意味では、この経済格差はAIの利用にもそのまま当てはまるだけで、その根本的な解決にはならないという見方もできます。経済格差の問題が人的な英文校正サービスからAIツールに引き継がれるだけかもしれません。

それに、AIの開発自体に利用されるデジタルリソースの量の格差も問題の1つです。例えば翻訳ツールを例にとると、日本語から英語への翻訳データが多ければ、日英翻訳の精度は上がります。これがマイナー言語どうしの翻訳になるほど、AIによる翻訳の精度は下がってしまい、結果として話者人口の多い言語の研究者が有利になってしまうのです。

また、著作権で保護された論文等をAIツールにそのままアップロードすることは多くの場合著作権の侵害になるはずで、この著作権の問題もAIツールの利用を妨げる要因の1つとなります。

―ChatGPTなどの生成AIについてはどうでしょうか?論文執筆への利用の可否については、研究者、大学、出版社でそれぞれ様々な意見が出ています。

天野 生成AIの利用については、サイエンス誌が最近「ChatGPTを含むAIツールの使用を禁ずる」という趣旨のエディトリアルを出しましたね。これに対して、我々はすぐにレターを提出し、少なくとも英文校正に関してはChatGPTやAIの利用は許されるべきなのではないか、という意見を表明しました。当然、生成AIでゼロから文章を生成してしまうことの倫理的・実質的な問題は理解できるので、どこかで線引きをする必要はもちろんあると思います。ただ、英文校正に関しては利用するメリットが十分にあるので、少なくともちゃんと利用を申告すれば利用できるようにすべきではないかと私は思っています。
参照: AI tools can improve equity in science

AIに頼りすぎることの弊害と学術出版の歪な現状

―近年は中国人研究者の論文数がアメリカを抜くなど、世界の中でも英語を母語としない研究者の数はどんどん増えています。AIが発達した先に、研究者が母語で研究を発表し、それが多言語で自動翻訳されて誰にでもアクセスできる未来を想像してしまいます。

天野 確かに、自分が発表したい言語で研究を発表して、それを読む側が自分の好きな言語に翻訳して読めるようになるのは、考えられる1つの未来ですね。そうなればストレスフリーで不平等感がないかもしれません。例えば、日本には日本語で発表している学術誌はたくさんあります。そういった雑誌を、日本語を理解しない人たちがAIツールを介して自分の好きな言語で読むことができれば、世界中からその希少な情報にアクセスできるようになります。そんな未来を想像したくなりますね。

ただ、AIツールに頼りすぎる未来像の問題は、英語習得をするメリットがなくなることです。日本の若い研究者が英語論文をすべてDeepLで翻訳して読んでしまったら、ますます英語を使わなくなるし、英語を学ぶモチベーションがなくなってしまいます。すると、国際学会に出て行って直接海外の研究者とコミュニケーションをとるときに、英語がますます弱みになってしまいます。

対面でのコミュニケーションで翻訳機械を介して会話ができる未来ももしかしたらあるかもしれません。ですが、海外旅行で少し会話する程度ならまだしも、果たして国際学会でいちいち機械を介して会話しなければならない相手と、実際に自分の声と言葉で対話できる相手とで、どちらの人と共同研究をしたいでしょうか? やはり、直接人間関係を築ける人と研究をやりたいじゃないですか。AIへの過度な依存は、そういったコミュニケーション能力の格差につながるのではという懸念は感じます。

―AIが発達して「誰でも、もっと楽に論文が書けるようになる」未来になったら、研究評価の基準も変化していく可能性はないでしょうか? 評価を得るためにインパクトファクターが高いジャーナルに論文を掲載することが不可欠な現状があります。論文を書いて出版するという行為自体がいい意味で民主化・大衆化したら、アーカイブやプレプリント、出版後ピアレビューといった新しい研究発表方法の普及が加速して、今の学術出版システムも大きく変わる未来もあるのではないか、と想像するのですが。

天野 AIが直接的に、学術出版の仕組みに影響を与えるかどうか、を議論するのは私には難しいです。ただ、今の学術出版と評価のシステムが本当に破綻しつつあることは間違いのないことです。

今はオープンアクセス化が進んでいますが、出版するためには、場合によっては1本100万円レベルのAPCを支払わなければいけない。同時に大学は億単位で出版社に購読量を払い、我々研究者は無償でエディターやピアレビュアーとして貢献している。出版社ばかりが儲かる歪んだ仕組みになっています。

なんとかしなければならない問題であることは、皆、当然わかっているのです。しかし、研究者個人のレベルでは、研究評価が出版に依存していて、有名誌に論文を出版しなければにっちもさっちもいかない。研究者レベルで行動を起こして、システムを変えるために動くのはとても難しいのです。AIで執筆環境が変わったとしても、このシステム自体には大きな影響を与えないのではないでしょうか? 研究業界全体と出版社が取り組むべき課題ではないでしょうか。

グローバルサウスの研究者が抱える2つの壁

― 学術界は、欧米で確立されたシステムの上に成り立っていると思われることから、いまだに、いわば欧米至上主義的な傾向がないでしょうか? これから研究の多様性をどう確保していくべきでしょう?

天野 「欧米至上主義」であるかどうかには、私は議論の余地があると思います。欧米主導であることには間違いないと思いますが、至上主義とは言い切れない。欧米の研究者の中には、研究の多様性の問題を、より深く理解して解決しようとしている人たちがたくさんいるからです。

一方で、多くの分野でdecolonization(脱植民地化)の動きがあります。科学界全体としても、これまで欧米主導で行われてきた科学研究を、もっと多様性を包摂してグローバルに主導して行かなければならない、という動きは確実にあると思います。その時に課題になる壁はいくつも考えられますが、そのうちの2つが「言語」と「経済」です。

私自身は、日本語ネイティブであるゆえの「言語の壁」は当事者として感じても、経済的先進国である日本出身であるために「経済の壁」は本当の意味で経験していません。その立場から見ると、グローバルサウスの研究者たちが乗り越えられず苦しんでいる壁の高さを、本当には実感できない立場にいるのです。

だからこそ、私は少なくともこの問題に対して言語の壁という側面で貢献し、同じ立場の研究者を応援したいと思ってこの研究を行ってきました。学術界全体には、これ以外にもたくさんの壁があります。そういった問題は、一人が悩むのでななく、業界全体で一緒に解決していかなければならないのです。

―今回のご研究の内容を、Twitterで知った方も多いのではないでしょうか。多言語で、インフォグラフィックを効果的に使って論文の情報を発信されていました。あのSNSでの情報発信は世界中に問題提起をするために戦略的に行われたのでしょうか?

天野 そうですね。私が行っている研究プロジェクトでは、多言語で情報の普及をする活動をもともとやっていて、英語の文献であっても、複数の言語で要旨を発表し、可能であれば全文を翻訳して付録としてつけて発表することを推奨してきました。

例えばこの論文では、科学における言語の壁を克服するための10のヒントを英語、日本語、スペイン語、フランス語で発表しました。

今回のプロジェクトでも、共同研究者にはさまざまな言語の話者がいますので、メンバーの中でできる範囲で、なるべく多くの言語でソーシャルメディアで発信しようということは、出版以前から話し合って決めていたことです。

この論文の要旨とインフォグラフィックは、日本語、ネパール語、ポルトガル語、スペイン語、ウクライナ語の5言語で付録として発表しています 。

英語の壁の解決において、出版社が果たす役割

―言語の壁を越えるために、先生は国、大学、学協会、研究者個人、それぞれのレベルでできる活動の提言をされていますが、著者への英語教育や英文校正、AIの利用いずれにも何らかのお金がかかります。アカデミアでは研究予算が増えない状況で、誰がどのようにして、英語の壁を超える活動を支えるべきだと思われますか?

天野 それについて私は、学術誌の果たす役割が大きいと思っています。商業的な学術出版の利益率が非常に高いことは皆さんご存知だと思いますが、先ほども話したように、今はアカデミアが無償でリソースを提供する一方でAPCと購読料を支払い、出版社だけが儲けている状況があるのです。この状況でさらに英語サポートを提供しないのは問題だと思っています。

我々の別の研究で、生物学系の700以上のジャーナルの著者ガイドラインを調査したのですが、多くの雑誌は非英語ネイティブの著者へサポートを提供していません。していても、有料で自社かパートナーの英文校正会社に紹介するケースがほとんどです。さらには、何のガイドラインもなくただ無責任に「ネイティブの校正を受けるように」と一文だけ書かれているだけのものも多くありました。

お金がなくてもできる活動はたくさんあります。ある南米の小さなローカル雑誌の事例で、投稿者に英文校正を無料で提供しているところもあります。最近、Evolutionという進化生物学の雑誌では、メンターシステムを導入して、英語ネイティブと非ネイティブの人をマッチングして英語サポートを受けられる仕組みを始めました。イギリス生態学会では、著者に無償でAI英文校正ツールを提供している例もあります。別の分野になりますが、研究で翻訳が必要なときに掲示板で協力してくれる人を探せるような取り組みもあったりします。

そういう地道なボランティアベースの活動が規模の小さい雑誌できるならば、当然利益率がもっと大きい主流雑誌でも実現可能なはずなのです。売り上げを業界に還元する意味で、サービスを無償で提供できる余地もあるのではないかと思っています。

-前編はこちら-
英語の壁を超える責任は、あなた一人で負わなくていい【前編】〜クイーンズランド大学 生物多様性・保全科学センター副所長、天野達也氏インタビュー

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この記事を書いた人

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