英語の壁を超える責任は、あなた一人で負わなくていい【前編】〜クイーンズランド大学 生物多様性・保全科学センター副所長、天野達也氏インタビュー

英語の壁を超える責任は、あなた一人で負わなくていい〜クイーンズランド大学 生物多様性・保全科学センター副所長、天野達也氏インタビュー

7月18日にPLOS Biologyに発表された「非英語ネイティブの科学者が直面する英語の壁」を可視化した研究が話題です。The manifold costs of being a non-native English speaker in scienceと題されたこの論文では、8カ国、908名の環境科学に携わる非英語ネイティブとネイティブ研究者へのアンケート調査から、英語が科学の共通語となっている環境で、英語を母語としない研究者のキャリア形成において、論文の読み書きや出版にかかる時間とコスト、国際学会での研究発表での心理的障害などの様々な不利益が生じている現状を可視化しています。その結果を元に、個人、研究機関、ジャーナル、資金提供者、学協会がすぐに実施できる具体的な解決策を提案しています。

論文は出版と同時に、非常に効果的なインフォグラフィックと、わかりやすい研究サマリー共に複数言語でTwitter(X)で拡散され、NatureScienceでも記事に取り上げられました。

「英語ネイティブでない研究者が、英語で苦労するのは当たり前」、「英語力不足は、個人の努力や研究費で補われるべき」、本当にそうでしょうか? 多くの研究者は研究にかける予算と時間を割いて英文校正や翻訳を行い、英語ネイティブより圧倒的に多くの労力をかけて論文を発表しています。暗黙の了解となっていたこの現実に、科学的エビデンスをもって改めて光を当て、シンプルな問題提起をしています。研究を主導しているクイーンズランド大学の生物多様性・保全科学センター副所長、天野達也氏にインタビューを行いました。前後編でお届けします。

天野達也氏プロフィール

クイーンズランド大学環境学部 上級講師 / 生物多様性・保全科学センター  副所長

生物多様性保全科学を専門とする研究者。東京大学農学部で博士号を取得後、農業環境技術研究所、ケンブリッジ大学動物学部の研究員等を経て、現職。地球規模での生物多様性の変化とその保全に関する科学的エビデンスの創出と提供に取り組む。日本語を母語とする研究者としての当事者経験と、保全科学者としての経歴を通じて、科学における言語の壁の重要性とその影響の解明に関心を持ち、研究活動と情報発信を行う。

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「本当によく発表してくれた」各国研究者からの共感の声

―7月18日に今回ご発表された論文、The manifold costs of being a non-native English speaker in scienceが PLOS Biologyに掲載されました。研究コミュニティから分野を問わず共感の嵐が吹き荒れていますね。

 この論文は発表前から、学術界からは大きな反響があるのではないかと期待はしていましたが、予想していた以上に、国を問わず世界各国の研究者から大きな反応があり驚いています。NatureとScience両方で研究を取り上げてもらったのも大きかったと思いますが、それだけ反応が大きかったのは、つまり英語の問題が研究者のキャリアにとってそれだけ重い課題なのだということです。

Twitter(X)上では、英語を母語としない様々な国の研究者が、英語で苦労された体験を一言添えてコメントをくれて、「本当によく発表してくれた」とおっしゃってくれました。これだけ多くの人が英語力の格差で苦しんでいるのだと改めて強く感じましたね。

天野先生のXでの論文発表の発信ポスト
共著者により、スペイン語、ポルトガル語、ネパール語でも発信された

―私たちも長年非英語ネイティブの研究者の論文出版をサポートしてきましたが、先生の論文を拝見して、「英語格差の問題を当然のものとして、これまで可視化して問題提起できずにいたのはなぜなのだろう?」と、改めて疑問を感じました。

天野 そうですね。我々のような非英語ネイティブの研究者からすると、苦手な英語を克服して研究発表をしなければいけない苦労は「個人レベル」で当たり前になってしまっていて、学術界全体の課題としての光を当てられてこなかったのです。この問題を当事者だけでなく英語ネイティブも含めたアカデミア全体に理解してもらうためには、定量化してデータを可視化することが極めて重要だと考えました。

アカデミアにおける言語の壁を扱った論文は過去にいくつもありますが、どうしても経験ベースになりがちで、個人的な意見の範疇を超えないものが多かったのです。社会を変えるためには科学的エビデンスを可視化していくことが重要です。アカデミアでは特に、科学的アプローチで証拠を示すことで、主張が受け入れられやすい文化であることは身に染みてわかっていました。それもあって、今回の研究に至ったのです。

非英語ネイティブの研究者が直面する不利な状況が可視化されたインフォグラフィック
Fig 5. Estimated disadvantages for non-native English speakers when conducting different scientific activities.
https://doi.org/10.1371/journal.pbio.3002184.g005

科学における言語の偏りは、科学の発展と応用の妨げになる

―先生のご研究は、生物多様性の研究分野で研究者の地域や言語の多様性の欠如と英語のバイアスが、研究の発展と保全活動を妨げている、という問題意識に端を発しています。かなりユニークな観点のご研究だと思うのですが。

天野 おそらくこの領域をメインで研究している人は世界的にほとんどいないでしょうね。生物多様性保全の研究では、グローバルスケールで情報やデータを集めて解析する手法を取ります。ところが、実際に集められる情報やデータは、英語が公用語の国の情報に偏ってしまう問題があります。

私が以前に所属していたケンブリッジ大学では、コンサヴェーション・エヴィデンス・プロジェクト(Conservation Evidence Project)という研究が行われており、生物多様性保全のために使えるエビデンスとして、特定の種や生態系の保全に役立つ対策の効果を検証したエビデンスを様々な地域から集めてデータベースを作っています。しかし英語の文献だけをメインに集めているために、検証が行われているエビデンスの地域分布が当然、イギリス、アメリカなどの英語圏に偏っていて、日本を含む東アジア圏や、特に生物多様性が豊富な南米、アフリカ、東南アジアなどの熱帯地域にはほとんどエビデンスがない、という認識だったのです。

これまでこの偏りは、研究活動が経済的に豊かな地域に偏っているためと説明されてきました。しかし私は、これは研究者の言語の偏りにもよるのではないかと考え、実際にそうであることを研究で示しました

また別の調査の結果、世界で出版されている生物多様性保全に関わる科学的文献の3分の1は、実は英語ではない言語で発表されていることがわかりました。英語以外の文献を検索してエビデンスを集めてみたところ、南米地域のスペイン語やポルトガル語の文献や、ロシア地域のロシア語文献が実はたくさん存在することがわかったのです。日本語の文献は、中でも一番多くありました。さらに、言語の分布と生物の種の分布を見ると、例えば日本に固有の種の情報は日本語で多く発表されていました。英語の文献だけに頼らないことの重要性が浮き彫りになった研究でした。
参照:Tapping into non-English-language science for the conservation of global biodiversity, PLOS Biology, 2021

―つまり、英語の壁は、単に非英語ネイティブが研究キャリアで苦労するという個人の問題ではなく、非英語圏の研究成果が蓄積されないために、研究領域自体の発展や社会への貢献を妨げる可能性があるということですね。

天野 その通りです。それならば、すでに存在する英語以外の科学的情報やエビデンスを活用できれば、もっと世界的に偏りのない情報が得られ、研究の発展につながるのではないかと考えました。

この研究をきっかけに、私たちは今、translatEというプロジェクトに取り組んでいます。今回発表した研究もそのプロジェクトの一環で行ったものです。これまで言語の壁に関する多くのエビデンスを発表してきましたし、世界的にこの問題ととらえる動きに多少は繋がっていると感じています。

translatEプロジェクトとは?

画像出典:オーストラリア生態学会

生物多様性保全研究において、科学における言語の壁を越え、科学的エビデンスを地球環境の保全に生かすためのプロジェクト。天野先生を中心に複数の研究者と、世界中の国と地域の協力者が参画している。世界の科学知識の3分の1は、英語以外の言語でしか入手できず、英語ネイティブ話者ではない世界人口のほとんどが科学に貢献できない状況を打破するために、科学的エビデンスを通じて問題提起を行い、具体的な解決のための取り組みを提案している。

▶translatEのウェブサイトはこちら

英語の壁は、研究者「個人の問題」ではない

―ますますグローバル化が進むアカデミアでは、非英語圏の研究者は本来の研究自体の内容だけでなく、英語力で出版や発表の機会が妨げられたり、余計な時間や予算を使わざるを得なかったりする現状があります。この状況を改めてどのように見ていますか?

天野 過去数十年ほどで「科学は英語でやらなければならないもの」という傾向が世界的にどんどん強まっています。今の非英語圏の研究者は「英語で発表しないと評価されない」プレッシャーをますます感じていると思います。

私は、科学の共通言語として英語を使うこと自体にはもちろん反対ではなくて、それで得られる利益は多大であると考えています。自分自身、オーストラリアで英語をベースに職に就いています。研究プロジェクトで100人もの共同研究者に恵まれているのも、英語という共通言語でコミュニケーションが取れているからです。学術界全体として、英語を科学の共通語として利用してきたことの功績は非常に大きいのです。

問題は、「英語をネイティブレベルで使わなければ研究ができない」というプレッシャーが、これまで非ネイティブの人たちにとって常に「自分たちのスキルの欠如が問題である」と認識されてきたことです。自分の英語レベルを上げるか、英文校正を使うか、いずれかの手法で、「自分たちの責任」において解決しなければならない問題だと、過去数十年間信じられてきたのです。

私はこの意識自体を変えるべきだと思っているのです。これは個人レベルの問題ではなくて、アカデミア全体で解決すべき問題です。そうでなければ、本当に非ネイティブの人たちの科学への貢献が阻害されてしまう。この意識改革は、非ネイティブ側、英語ネイティブ側、両者において、アカデミアと学術出版業界全体で起きなければならないのです。

-後編に続く-
英語の壁を超える責任は、あなた一人で負わなくていい【後編】〜クイーンズランド大学 生物多様性・保全科学センター副所長、天野達也氏インタビュー

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この記事を書いた人

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