研究者は怖がり? 〜研究者の思考さくご (10)

研究者は怖がり? 〜研究者の思考さくご (10)

国内では出会うことのできない情報や人々に会えることが魅力の海外留学。コロナ禍があけ、再び多くの学生や研究者が海外へ留学するようになったかというと、どうもそうではないようです。最近の研究者が海外留学に行きたがらないのはなぜなのか。連載「研究者の思考さくご」第10回は、「研究者は怖がり?」をテーマに、研究者が海外留学に行きたがらない理由について、国立情報学研究所の宇野毅明(うの・たけあき)先生に考察していただきます。

宇野 毅明
国立情報学研究所(NII) 情報学プリンシプル研究系 教授

アルゴリズム理論、特に列挙・データマイニング・最適化の研究が専門。コンピュータ科学の実社会における最適化に関心を持ち、自治体、企業、多分野の研究者との様々なコラボレーションを行っている。東京・神田にあるサテライト研究ラボ、「神田ラボ」を主催。情報学だけでなく文学、哲学、歴史学など人文社会学系を含めた国内外の研究者が集まり、日々、技術と社会の狭間で起きる現象について議論を重ねている。議論における俯瞰力と問題設定力を鍛える道場、「未来研究トーク」共同主催者。

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筆者は、議論力を鍛えるワークショップをときどき開催しているのですが、そこで「最近の研究者はなぜ留学に行きたがらないのか」という議論がありました。全員が行きたくないわけではないけれど、なぜか行きたいという人がだいぶ減ったように思えて、その理由に関して議論していました。最近、留学したい人が減っていることが、問題意識として捉えられているからです。

最近の研究者は、昔に比べて忙しいです。昔は金銭的な問題で留学が難しかったのですが、相対的に今は時間のほうがより問題です。その他にも、研究や教育が中断できない、キャリアが安定しないから、などいろいろな理由が考えられます。議論会でも、いろいろな意見が出ました。しかし、これらの意見にはひとつ大きな穴があります。上記のような理由なのであれば、「留学に行きたいのに行けない!」という意見がたくさん出てくるはずですが、そういう声はあまり聞こえないのです。強い気持ちがないから声が出てこないのでしょうか。ということは、あまり気持ちがないところに、「留学に行かないのはなぜ?」と聞かれて、言い訳のようにもっともらしい理由を出してきた、というところでしょうか。

そうだとすると、では、なぜ留学に行く気持ちが弱いのでしょうか。留学のメリットは、「新しい世界や異なる研究文化を知ること」、「まったく違った場所に多くの知り合いができること」、「最先端の研究に関われること」、「言語や分野の壁を超えて、議論をして自分の知見を広めること」など、さまざまあります。留学に行って良かった!楽しかった!という話もよく聞きます。ひどい目にあった、という話はあまり聞きません。いいこと尽くめのように見えます。特に、留学が研究の力を伸ばすものなのであれば、昨今の激化した競争の環境では、論文を書くにせよ、ファンド申請するにせよ、ポジションを得るにせよ、力を付けることはなにより重要になりそうなものです。それなのに、留学行きたい人が増えない。いったいなぜでしょうか。外国に行って、そこで何をするかイメージがわかない、という話も聞きますが、それなら昔のほうが情報が少なく、イメージが難しかったはずです。

研究者は怖がり? 〜研究者の思考さくご (10)

という議論をしているうちに、ふと参加者のひとりから「研究者は、怖がりだからじゃないですかね」という意見が出ました。この方、ご自身は研究者ではありませんが、研究者と関わる仕事をしており、客観的に研究者が見られる立場にいらっしゃるので、重みがあります。研究者と言えば「自分の道をまっすぐに進む自信家」というイメージもあるので、最初はとまどったのですが、確かに思い当たる感じもあるなと、みんなで自分の周りを振り返りながら話して、「なるほど」という感じになりました。

より正確に言えば、「研究者は臆病なところがある」、「リスクを怖がる傾向がある」、あるいは「自己肯定感が低い」でしょうか。研究者は、一生懸命自分で考えた、自己表現である研究結果を論文にまとめて投稿するわけです。ですが、査読で採択されるより、不採択になることのほうが多いでしょう。ほめてもらえることなど本当に稀で、だいたいはすごく批判されます。ときには「意味がない」とか「くだらない」とか。それでは自己肯定感は下がりますよね。採択され、褒められ続けるのは、一部の超優秀な研究者だけです。トップ研究者になったり、賞をとったり、それらもほんの一時、あるいは一部の人だけです。企業では自分の自由にできなかったり、上司に提案を却下されたりするため、研究者のほうが自由で強いように認識されがちなのでしょうが、研究は他人に言われてやるものではなく、ときに自分の人格をかけて論文を書きますから、否定されたときのダメージはとても大きいと思います。

研究者は怖がり? 〜研究者の思考さくご (10)

考えてみると、研究者は、自分の分野にいる限り、あるいは自分のコミュニティにいる限り、自身が積み上げてきた知識と研究力というものすごく堅い「鎧」に包まれていて、とても強い状態にあるのです。ちょっと外から来た人になにか言われても、とても強い基盤が自分の中にあるので、心が傷つくことはありません。ですが、他の文化圏に行ったり、専門外の分野に行ったりすると、この鎧はなくなってしまいます。それはそれは心細いと思います。。そう思うと、逆に、まだ駆け出しで鎧をまとっていない研究者や、鎧をまとっているかどうかを最初から気にしてない研究者が、留学が好きなのではないかと思います。そうなると「分野の中で活躍しているがトップレベルでない若手研究者で、やる気のある人を海外に送り込んで修行させたい」といったような意味合いで留学のシステムを考えると、絶望的に難しいような感じもしてきます。これは困りました。

日本はご飯がおいしいし、安全だし、面白いこともたくさんあるし、居心地いいので、「外国に行きたくないなあ」、「めんどくさいよな」という気持ちは、とてもわかります。情報と通信の技術も発達していますから、別に海外に行かなくても、日本で外国の文献読んで、外国の人とオンライン通話で仲良くなる方法もあるのではないかと思うかもしれません。ということであれば、海外に行くことをめんどくさいと思う人に対して、あるいは自己肯定感が低くなってしまった人に対して、留学で得られる研究の力の増強ができるような、そんな「留学以外のより簡単な方法」があってもいいのではないでしょうか。コミュニケーションの相手は異文化・異分野ならいいわけで、外国の人である必要はありません。いきなり留学はハードル高いので、そうやって異文化の人と触れる、研究の力を強くしてくことに慣れてから、留学を考えれば、もっと自然に外国に行って修行することのイメージがつかめるのではないかと思います。つまり、留学を希望する人が少ないことを嘆く前に、「異分野・異文化の人と交流したり議論したりする会」や、「研究者のメタな力や異分野の技術を知り、学会」を開催した方が、遠回りのように見えて近道ではないのかな、と思うのです。

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この記事を書いた人

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